【ブログ】ひらめきは人生の最適解なんだけど、行動にうつせない自分に自己嫌悪する時。その1

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「ひらめき、ふとした発想は人生の最適解なんだけど」

「行動にうつせない自分に焦るし自己嫌悪する」


→ 「自分を眺めて深呼吸」

  「今ここには今この瞬間しかない」


その1



〇〇しなくてはいけない、〇〇がまだやれていない
という思考で頭がいっぱいになることがあって。


やりたくないことや強制されたことの話ではなく、むしろやりたいと思いついたり、ふと試してみたいと思ったひらめきや発想とかの話。

もともとやりたいことだったのに、やらなくちゃいけないって思いこんじゃうことがあって。


やりたいことなんだから、本当は、いい気分でやりたいようにやるだけでいい。


過去も未来も周りの評価も結果も気にせず(期待もせず)ただやってみるだけで、いい。


なのに、なんだけど、
無意識にそれに期限をつけたり、自分にノルマを課して自分を縛ろうとしてしまう。


ここで重要なのは、「期限・ノルマ」が自分を縛っているのではなくて、

「期限やノルマを守れないとダメなんだ、意味がないんだ」というようにやれた・やれないで自分で自分を評価して、自分を縛っているということ。自分でダメ出ししてしまうこと。




いま私が生きている世界は

時間というものがある(ってことになってる)世界なので、期限とかが出てくるのは自然なことだろうし

期限やノルマだって、重たくて苦しい物じゃなくて、「あの日にこれやろう」「これをこんな風に継続してやってみよう」みたいに本来はやりたいこと・発想やひらめきの一部なだけのはず。



それを、考えた通りにできなかったからといって、自分を責めたり焦ったり自己嫌悪に陥るというのは、本来はまったく必要ないこと。


なぜかというと

やれなかったとしてもまた次のその瞬間の「やりたいこと・ひらめき」があるから。
やりたいと思ったらすぐやるのが、ひらめきの有効な活用法だけど、やれなかったら「やれなかったな、終わり。次(^^♪」でいいのだ。


さらにもっというと
やれないことより何よりも「焦り・罪悪感・自己嫌悪」で自分をいじめてしまうことの方が、人生にとって甚大な悪影響をもたらしてしまうのだ。自分だけでなく周囲にもだぜ!

(悪と表現してるけどほんとは善悪もないけど、よりネガティブで重たくて苦しいなっていう方をそのように表現してます)



やりたいと思いついた発想・ひらめきは、

無意識に自分が自分へ示した「人生における最もスムースな最適解」だから、純粋にただそれをやればいい(いい=楽しい、心地よい、いい気分に進む)のだけど


思いついた通りに「やらないといけない」「やるべき」という思考で縛ってしまったら、純粋にひらめきを楽しむことからズレてしまう。


ひらめきを「やることを楽しむ」ことから「やらないとダメ」にズレてとらえてしまうと、

もはや楽しめない。

楽しめないと、最適解は最適解の形ではなくなってしまう。

「ひらめいたことをやることをただ楽しむ」がセットの最適解だから。




「ひらめきをやることを楽しむ」のが最適解なんだと、知っている場合。

わかっているからこそ、この思いついたことやらなきゃ勿体ない、だめだ!焦る!と思ってしまうかもしれないけど、


ひらめきは、その瞬間その瞬間の最適解として、時間のない世界からポンポンやってくるような感じがするんだけど(たぶん)

時間が存在しているような、肉体もあるこの世界で生きているなら、タイムラグができることもあるさ。と思う。


だから思考で補助したりね。



さっきも書いたけど思いついたとおりにできなかったとしても、次の今ここの瞬間の最適解である「やりたいこと・ひらめき」がちゃんと出るから大丈夫。


と思って、安心してかまえておく。自分のことはいじめない。


つづく

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